1.はじめに地球温暖化と気候変動は現代社会が直面する最も深刻な課題の一つであり、その解決に向けて国際的な取り組みが急務となっています。カーボンクレジットは、排出削減のインセンティブを提供することで、企業や国が環境負荷を低減するための重要なツールとなっています。この記事では、カーボンクレジットの仕組みやグローバルな市場、主要な取り組みについて解説します。2.カーボンクレジットの基本原則カーボンクレジットとは、一定量の二酸化炭素(CO2)排出削減や、CO2吸収を行ったことを証明する取引可能な証書です。企業や国が炭素排出を削減し、排出量が割り当てられた上限(キャップ)を下回る場合、その差分に相当するカーボンクレジットを取得できます。また、カーボンクレジットは取引市場で売買されるため、炭素排出削減が困難な企業は他の企業からカーボンクレジットを購入して排出量の上限を満たすことができます。カーボンクレジットのメリットは、排出削減のコスト効率の向上や環境技術のイノベーション促進です。一方、課題として透明性や適切な監視・検証の確保、二重カウントの防止などが挙げられます。3.主要なカーボンクレジット市場3.1 欧州連合排出取引制度(EU-ETS)EU-ETS(European Union Emissions Trading System)は、2005年に開始された欧州連合(EU)における排出権取引制度で、温室効果ガス(GHG)排出量を削減するための重要な政策手段です。これは、世界最大かつ最も成熟した排出権取引市場であり、EUの気候変動対策の中心的な柱の一つです。EU-ETSの主な特徴は下記の通りです。キャップ・アンド・トレード原則EU-ETSは、「キャップ・アンド・トレード」原則に基づいて運営されています。これは、排出量の上限(キャップ)を設定し、参加企業がその上限内で排出権を取引することを可能にする仕組みです。キャップは徐々に引き下げられ、企業はより効率的な排出削減策を追求することが求められます。対象産業と排出量EU-ETSは、主にエネルギー部門(発電所・熱供給施設)、重工業(鉄鋼、セメント、化学、製紙など)、および航空部門を対象としています。EU全体の温室効果ガス排出量の約45%がこの制度の対象となっています。配分方法EU-ETSでは、排出権の配分方法が2つあります。一つは、特定の産業に対して無料で排出権を配分する方法(無料配分)。もう一つは、排出権をオークションにかける方法です。オークションの割合は徐々に増加しており、市場参加者が排出権を競争的に取得することが促されています。監視・報告・検証(MRV)EU-ETSに参加する企業は、排出量を監視し、毎年報告することが義務付けられています。独立した第三者機関によって検証され、排出量が正確に報告されていることが確認されます。柔軟性メカニズムEU-ETSでは、参加企業が排出削減目標を達成するために、国際排出権取引やクレジット取引(CDM, JIプロジェクトなど)を利用することができる柔軟性メカニズムが導入されています。ただし、これらのメカニズムの利用には制限が設けられており、企業は自らの排出削減努力を中心に据える必要があります。リンクおよび国際協力EU-ETSは、スイスの排出権取引制度とリンクし、排出権取引の枠組みを拡大しています。また、国際的な排出権取引制度の発展や相互運用性の向上を目指して、他の国や地域との協力を進めています。3.2 イギリス排出取引制度(UK-ETS)UK-ETS(United Kingdom Emissions Trading Scheme)は、2021年にスタートしたイギリスの排出権取引制度です。イギリスが欧州連合(EU)から離脱したことを受け、従来参加していたEU-ETSから独立して立ち上げられました。UK-ETSは、イギリスの気候変動対策の一環として、温室効果ガス(GHG)排出量の削減を目指しています。UK-ETSの主な特徴は下記の通りです。対象産業と排出量UK-ETSは、主にエネルギー部門(発電所・熱供給施設)、重工業(鉄鋼、セメント、化学、製紙など)、および航空部門を対象としています。これにより、イギリス全体の温室効果ガス排出量の大部分が制度の対象となっています。キャップ・アンド・トレード原則UK-ETSも、EU-ETSと同様に、「キャップ・アンド・トレード」原則に基づいて運営されています。これは、排出量の上限(キャップ)を設定し、参加企業がその上限内で排出権を取引することを可能にする仕組みです。キャップは徐々に引き下げられ、企業はより効率的な排出削減策を追求することが求められます。配分方法UK-ETSでは、排出権の配分方法が2つあります。一つは、特定の産業に対して無料で排出権を配分する方法(無料配分)。もう一つは、排出権をオークションにかける方法です。オークションの割合は徐々に増加しており、市場参加者が排出権を競争的に取得することが促されています。監視・報告・検証(MRV)UK-ETSに参加する企業は、排出量を監視し、毎年報告することが義務付けられています。独立した第三者機関によって検証され、排出量が正確に報告されていることが確認されます。UK-ETSとEU-ETSのリンクUK-ETSは、将来的にEU-ETSとリンクすることを目指しています。3.3 オーストラリア排出削減基金(ERF)豪州のERF(Emissions Reduction Fund)は、2014年に導入されたオーストラリアの温室効果ガス(GHG)削減政策です。ERFは、排出量を削減するプロジェクトを進める企業や団体に対して、政府がカーボンクレジット(オーストラリアン・カーボンクレジットユニット、ACCU)を与え、そのクレジットを市場で取引することができる仕組みを提供しています。ERFの主な特徴は下記の通りです。CFI(Carbon Farming Initiative)の発展ERFは、もともと2011年に導入されたCFI(Carbon Farming Initiative)を拡大・発展させたものです。CFIは、農業や林業分野における排出削減を目的としていましたが、ERFでは排出削減プロジェクトの対象範囲が広がり、多様な産業分野が含まれるようになりました。ERFオークションERFでは、政府が定期的にオークションを開催し、排出削減プロジェクトを実施する企業や団体に対して、ACCUを購入する契約を結びます。これにより、政府は排出削減を促進し、プロジェクト実施者はクレジットを受け取ることができます。市場メカニズムERFにおいては、ACCUが市場で取引されることが想定されており、排出削減プロジェクト実施者は、クレジットを売却して収益を得ることができます。また、企業や団体は、自らの排出量を相殺するために、クレジットを購入することも可能です。温室効果ガス排出量の報告と検証ERFに参加する企業や団体は、プロジェクトによる排出削減量を報告し、独立した検証機関による検証を受けることが求められます。これにより、排出削減効果が正確に評価され、信頼性が確保されます。セーフガードメカニズムERFには、セーフガードメカニズムが導入されており、大規模な排出事業者に対して、基準排出量を超えないように義務付けられています。このセーフガードメカニズムは、ERFが排出削減を促進する一方で、大規模排出事業者の排出量の急増を防ぐ役割を果たしています。3.4 中国排出取引制度(CN-ETS)CN-ETS(China's National Emissions Trading System)は、二酸化炭素排出量の効果的な管理と段階的な削減に貢献することを目的として、2021 年に運用を開始しました。この制度は、中国の温室効果ガス(GHG)排出削減を目的としており、年間排出量が26,000tCO 2を超える電力部門の 2,000 社以上の企業を規制しています。基準排出量CN-ETSでは、各企業に対して基準排出量が設定されます。企業がこの基準を下回る場合、余剰排出権を市場で販売することができます。逆に、基準を超える場合は、他の企業から排出権を購入する必要があります。キャップアンドトレード制度CN-ETSは、キャップアンドトレード制度として機能します。これは、政府が全体の排出量に上限(キャップ)を設定し、企業間で排出権の取引(トレード)が行われる仕組みです。これにより、排出削減のコスト効率が向上し、全体の排出量が削減されることが期待されます。監査と検証CN-ETSに参加する企業は、排出量を報告し、独立した第三者機関による検証を受けることが求められます。これにより、排出量の正確性と透明性が確保され、制度の信頼性が向上します。中国の国家排出権取引制度(CN-ETS)は、世界最大の排出権市場を形成しており、中国の温室効果ガス排出削減に大きな影響を与えることが期待されています。制度の段階的な展開と、他の気候変動対策政策や国際協力との連携により、中国の排出削減目標達成への道筋が形成されつつあります。CN-ETSは、今後も国際社会の注目を集めるであろう重要な気候変動対策の一つです。3.5 カリフォルニア州遵守オフセットプログラム(アメリカ)California Compliance Offset Program(カリフォルニア州遵守オフセットプログラム)は、カリフォルニア州の排出権取引制度(カリフォルニア・キャップ・アンド・トレード・プログラム)の一部であり、温室効果ガス(GHG)排出を削減するプロジェクトに対してカーボンオフセットクレジットを発行する制度です。このプログラムは、排出権取引制度の参加者が、オフセットクレジットを利用して自身の排出量を一定程度まで補完することを可能にします。オフセットプロジェクトの対象分野カリフォルニア州遵守オフセットプログラムは、特定の分野で実施されるプロジェクトを対象としています。これには、森林管理・保全、農業部門のメタン削減、オゾン層破壊物質の破壊、および炭素捕獲・貯留(CCS)プロジェクトが含まれます。オフセットクレジットの発行オフセットプロジェクトが温室効果ガス排出量を削減または除去すると、プロジェクト主催者はカリフォルニア州気候変動対策委員会(CARB)からオフセットクレジットを受け取ります。これらのクレジットは、排出権取引制度の参加者が自身の排出量に対して使用することができます。クレジット使用の上限カリフォルニア州遵守オフセットプログラムでは、排出権取引制度の参加者が、総排出量の最大8%をオフセットクレジットで補うことができます。これにより、企業は一定程度の排出削減をオフセットプロジェクトに依存せずに実現することが求められます。監査と検証オフセットプロジェクトは、CARBが定める基準に基づいて独立した第三者によって監査および検証される必要があります。CCOPは、カリフォルニア州の企業や組織が持続可能なビジネス活動を行うことを促進するとともに、グリーンエネルギーや環境保全プロジェクトの推進を支援しています。4.国際的な枠組みと取り組み4.1 パリ協定と国際的なカーボンクレジット市場 パリ協定は、気候変動対策の国際的な枠組みであり、参加国が自主的に国別の排出削減目標を設定し、それを達成するための取り組みを行うことを求めています。パリ協定の下で、国際的なカーボンクレジット市場が構築されることが期待されており、国境を越えた排出権取引が促進されることが予想されます。4.2 CORSIA(国際航空業界向けの排出補償メカニズム)CORSIAは、国際航空業界の二酸化炭素排出量の増加を抑制するために国際民間航空機関(ICAO)によって導入された制度です。このメカニズムでは、航空会社は国際線の二酸化炭素排出量の増加分をオフセットするために、カーボンクレジットを購入することが求められます。これにより、航空業界全体で排出量の増加を抑えることが目指されています。4.3 REDD+(熱帯雨林の減速・削減に関する国際的な取り組み)REDD+は、熱帯雨林の伐採や劣化による二酸化炭素排出を削減するための国際的な取り組みです。REDD+では、森林保全や持続可能な森林管理、森林の再生に取り組む開発途上国に対して、カーボンクレジットが発行されます。これにより、森林の価値を見直し、熱帯雨林の保全に資金を提供することが目的とされています。5.カーボンクレジット市場の動向と展望5.1 最近の市場の動向カーボンクレジット市場は、各国や企業の排出削減目標の強化や、環境意識の向上により、急速に拡大しています。市場規模は今後も増加が見込まれ、さらに多くの国や企業がカーボンクレジットを活用することが予想されます。5.2 将来の市場展望と成長要因カーボンクレジット市場の成長要因には、気候変動対策への国際的な取り組みの強化、企業の環境目標の強化、技術革新の進展などが挙げられます。また、市場の透明性や信頼性の向上が求められる一方で、国際的な相互運用性の確立も期待されています。5.3 気候変動対策への影響カーボンクレジット市場の発展は、気候変動対策において重要な役割を果たします。排出削減のコスト効率を高めることで、企業や国がより積極的に環境対策に取り組むインセンティブを提供し、排出量の削減を促進します。また、カーボンクレジット市場は、新たな環境技術やエネルギー効率化技術の開発・導入を促し、持続可能な経済成長を支えることにも寄与します。6.まとめカーボンクレジットは、気候変動対策のための重要なツールとなっており、世界各地でさまざまな市場が設立されています。これらの市場は、国や企業が炭素排出を削減するインセンティブを提供し、環境対策に取り組むための柔軟性をもたらします。今後もカーボンクレジット市場は拡大が見込まれ、気候変動対策の強化や企業の環境目標達成に役立つことが期待されます。市場の透明性や信頼性の向上、国際的な相互運用性の確立が求められる中、カーボンクレジットは持続可能な発展に向けた重要な役割を果たし続けるでしょう。